黒板五郎のウバイド國體ワンワールド

落合史観に関する話題を取り扱うブログ

大統領選挙後の米国がどうなるかを昨日知った。「生(なま)」で聴けていたら10月10日に分かってたのに(笑)


大統領選挙後の米国がどうなるかを昨日知った。「生(なま)」で聴けていたら10月10日に分かってたのに(笑)
2020年11月9日(月) 晴れ
 
昨日、ようやく時間の余裕が出来たので、10月10日に大阪で開催された落合莞爾先生の講演会(インペリアル・アイズ年会員向け限定講演会)の映像を視聴する事が出来た。
当初の計画では、大阪に出向いてナマで落合先生のお話を聴く予定であったのだが、大型の台風14号が、まさに、当日頃に関西圏の南の海上を通過する予報であり、復路(大阪→三島)の時間帯に新幹線が運休する懸念があったため、前々日になって泣く泣く講演会参加申込をキャンセルせざるを得なかったのである。
 
それにしても、今回の講演テーマは「落合史観における大東亜戦争の総括」であり、驚くべき歴史の真実のオンパレードだった。
そして、大東亜戦争は、実は第一ラウンド~第三ラウンドまであり、その第三ラウンドが正に現在進行中だという落合先生のお話により、モヤモヤしていた米大統領選の行方が驚くべき結果になることを知り、「なるほど」と納得した次第である。
 
少なくとも、マスメディア(国際金融連合支配下偏向報道メディア)が「当確」を出したバイデンさんが、アメリカ合衆国大統領になる事は無いらしい。
 
ちょっと、講演会の映像を視聴しての記憶と走り書きのメモから、印象に残る内容を羅列してみる。
 
大東亜戦争の第一ラウンド~第三ラウンドについて
 
(1)第一ラウンドは、皆が知っている『日本の敗戦で終わる戦い』である。2発の原爆投下で日本が降伏することになる。
 
大東亜戦争の真の目的は、戦後のGHQによる日本人洗脳政策「WGIPWar Guilt Information Program)」により、日本国民、特に戦後生まれの我々には全く知らされていないが、名前の通り、「大東亜(=東アジア)」の各国を植民地支配している宗主国から独立させる事であった。
15~16世紀に始まった大航海時代の結果、覇権主義(奴隷支配主義)を進めた欧米列強がアジア各国を植民地化して行き、タイと日本を除く東アジアの各国を植民地化(支那は半植民地化)してしまったが、これらの国々を欧米から独立させるために日本が立ち上がったのが大東亜戦争である。
 
その第一ラウンドでは、結局は、日本が一旦は負けるしかないと言うワンワールド國體サイド(当時のトップ(落合先生の表現では「世界國體天皇」)であり、日本を脱出して欧州のハプスブルク家に移っていた堀川辰吉郎(121代孝明天皇の孫)が敗戦を決めたそうである。「負けるしかない」という結論になった理由を、私は今一つ理解していないが、陸軍の一部(日本国の政体サイド)が暴走し過ぎたと言う事かも知れない。
 
そして、ここまで戦った後にキッパリと日本が負けるためには、荒療治をするしかないと言う事で、原爆投下を決めたそうである。
因みに、落合先生によると、原爆投下を提案したのは山本五十六元帥だったそうである。そう、山本五十六元帥は、表の歴史上は前線視察中のブーゲンビル島上空で搭乗していた軍機が撃墜されて戦死した事になっているが、実は死んでおらず、留学先(ハーバード大学)、駐米大使館付武官としての滞在先であった米国に渡り、戦後も米国で生存していたそうである。山本五十六さんが戦後も米国で生きていた事は、紛れもない事実だと落合先生は断言されていた。
 
(2)第二ラウンドは、旧日本軍の参謀クラスの面々が、現地人の軍事教育と作戦参謀を務め、欧米の植民地宗主国と戦って勝利し、独立を勝ち取る事になる。
 
表の歴史上は戦死した事になっているが実は生きていた山下奉文石原莞爾甘粕正彦澄田らい四郎、戦後に参議院議員になっていて突然姿をくらました辻政信等が現地に入り、英国領のインド、オランダ領のインドネシア、米国領のフィリピン、フランス領のベトナム等々において現地国民を指揮しながら宗主国側の軍と交戦して見事に勝利し、各国の独立に成功した。
因みに、澄田らい四郎の息子は、後に大蔵事務次官日銀総裁となる澄田智である。
 
ベトナム戦争後の米国側(?)による調査では、北ベトナムには700人ほどの旧日本軍人が入っていたとの事で氏名一覧の記録まで残っているらしいが、落合先生に依れば、その10倍以上(7千人以上)の旧日本軍人がベトナム戦争に入っていたそうである。その軍人達の出身母体は明確ではないが、シベリアで消えた10万人の兵の一部の可能性も有りと落合先生は言われていた様な。
旧日本軍人が現地に士官学校を造って現地人を育てたそうである。後にベトナム民主共和国の初代国家主席となる北ベトナムの指導者ホーチミンも現地に入った旧日本軍が育てて支援したそうである。
第二ラウンドのベトナム戦争で、日本はキッチリと米軍に勝利したと言う事である。
 
日本の復興ステップ
 
(2)の第二ラウンド(ベトナム戦争を除く)のあと、最終ラウンドに向けて日本の国力回復・増強の必要があり、そのために起こしたのが朝鮮戦争だそうである。
 
ワンワールド國體のトップ・世界國體天皇堀川辰吉郎が、周恩来(同じくワンワールド國體側の人)に指示して、毛沢東を操って金日成と話をさせて起こしたのが朝鮮戦争だそうである。これにより、日本は朝鮮特需で劇的な経済復興を成し遂げたそうである。
米国マッカーサー元帥(彼も実はワンワールド國體側の人)が、頑張り過ぎて朝鮮戦争を早く終わらせ過ぎてもいけないので、後ろから縄を着けて牽制していたという様な話も、落合先生はされていた。
 
(3)第三ラウンド 現在進行中
 
第三ラウンドは、日本が行司役になって、米国と支那を戦わせるという計画なのだそうである。
そのために、以下の様な段取りで、日本は平成の30年間を使って支那の国力を増強させて来たそうである。
 
●敢えて日本の工業生産力を使わずに(即ち、自国内生産による利益収得を犠牲にして)、安い賃金の支那に工場機能を移し
支那人に技術を教えて育て、
●そして下請け生産を支那に発注してやり、
●日本人と支那人の賃金格差分だけ多くの利益が支那の投資家に入る様にしてやり、
●平成の後半では日本の金利0金利にして、なおかつ、国内企業には融資せずに支那に無利子の資金が流れる様にしてやり、
 
という、至れり尽くせりの手を打ってやる事により、支那に米国と対抗できるだけの国力を付けさせたそうである。
だから、習近平さん(彼もワンワールド國體側の人。字こそ違え、周恩来さんの系統らしい。)が、来日して天皇陛下に謁見したいと言うらしい。
 
そして、ここ数年になって、いよいよ米中戦争(経済戦争)が始まった訳である。
 
さてその軍配はどちらに上がるか?
 
落合先生は、その結果も講演の中で明言されている。最初は、「言おうか、やっぱり言うのは止めておこうか。」、「この後の宴会で言おうか。」と言われていた落合先生も、「私も、最近は30分経ったら自分が何を言ったか忘れるから、今言いましょう。」と言って結果を説明してくれた。 
 
支那の勝ちである。
 
ただし、勝った方は無傷という事はなく、両国とも痛み分けとなるらしい。
即ち、支那も米国も分国化が進む事になるらしい。支那孫文三民主義に則って、異民族(漢民族満州人、・・・)ごとに国家を分ける事になるし、米国は、現在でも国民の3割は英語を話せないくらいの異民族集合国家らしいが、それが、幾つかの国に分国されるらしい。落合先生は、南北戦争の前くらいに戻ると表現されていた。
なお、支那には、拠り所とする宗教が無いので、習近平さんはラマ教を取り入れる事を考えているらしい。
 
と言う事で、アメリカ合衆国大統領はトランプさんが最後で、今回の米国大統領選挙からは、合衆国大統領は生まれないだろうと落合先生は言われていた。
 
因みに、日本にとっては、上の大きな分国化の結果、台湾が日本に戻って来る様な事があったら、日本の勝ちと言えるだろうと落合先生は仰っていた。
元々、台湾は日本のものなので、日本に帰って来ても何もおかしくないそうである。
それから、今年の夏に逝去された台湾の李登輝台湾総統は、実は、西郷隆盛の孫か曾孫(愛加那さんとの間に生まれた息子・西郷菊次郎が台湾駐在時に作った子、またはその子の子)だそうである。
 
■それ以外で印象に残っている話
 
スターリンはロシアの國體勢力である。
 
国際金融連合(覇権主義勢力)がロシア革命を起こさせソ連を誕生させたが、そこにスターリンが登場し、軌道修正して國體共産党を作った
その活動資金源は、ワンワールド國體が提供したケシと黄金(ロマノフ黄金の2割)。傭兵の報酬としてはケシを渡し、ケシから通貨への交換も受けてやった。
 
國體共産党ソ連を立ち上げるに当たっては、日本から後藤新平ソ連に渡り支援。
ソ連行きの理由としては、最初はボーイスカウト団長の訪ソという建て前で入国したが、その後、日本国内の憲兵(?)の目も厳しくなって来たため、遊説中の東海道線での移動中に醒ヶ井(滋賀県)辺りで倒れ、京都府立医大病院に運ばれたあと死亡した事にし、ソ連に渡ってスターリンを助けて國體共産党ソ連立ち上げを行ったそうである。
 
日本共産党は、日本を共産化(国際共産党化)させないためにワンワールド國體が創設した党である。
 
堺利彦後藤新平、田中清玄、鍋山貞親、佐野学(兄の岳父が後藤新平)、野坂参三不破哲三志位和夫と続く。
 
●矢次一夫さんは、鷹司家閑院宮家~欧州大塔宮と繋がる人。
 
今回の講演会で落合先生が手にしていた書籍「昭和動乱私史」の著者であるが、若い頃に支那大陸に渡った際に、東条英機(中将?)がわざわざ飛行機を手配し、二人で現地を回ったそうである。
 
この「昭和動乱私史」には落合先生の洞察を裏付ける色んな情報が書かれているらしい。早速、中古本を注文した(笑)。
 
●その他
 
・ナポレオンは、セントヘレナ島を脱出し、米国に渡って余生を過ごしたそうである。州名についてはフランス人が多いところ、歌の「ジャンバラヤ」の元になっている州と言われていたが、ネットで「ジャンバラヤ」を調べたら結果は、ルイジアナ州だった。
 
寺内寿一元帥は、1946年にマレーシアで死亡した事になっているが、実は死んでおらず、その後、松前達郎と一緒にソ連に入ったそうである。
 松前達郎は、その後に帰国し、東海大学を創設している。