【まとめ表】落合史観関連マテリアルからのピックアップ情報
作成:2020年2月3日(月)
更新:2020年2月21日(金)
以下は、追記順(上が最新追記)。
発信日 |
ピックアップ情報 |
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講座 2018/8月 |
●ベトナム戦争は、日米の戦争。辻政信がベトナム兵を鍛えて戦った。だから、辻政信は消えた。 ●その後、中越戦争が始まったが、あっと言う間に支那側に30万人の戦死者が出た。 ●ビルマ軍、インドネシア軍を鍛えたのも日本。多分、北朝鮮軍も。 |
講座 2017/12月 |
●満鮮経略とは、東の極、羅津(らじん)(現北朝鮮の羅先)と日本列島において、日本の皇統が大陸の満州+朝鮮半島を統治するための経略であり、大陸勢力の日本への侵略を防ぐための緩衝地帯を作るという目的を持った経略である。 |
無料メール 2019/6/26 |
●密教とは、顕教に潜入して自らの主旨を実現するもののこと。 ●マイトレーヤは、漢語で弥勒と書く。弥勒を主神とするマニ教が本当の密教で顕教に潜入した多神教思想。 |
無料メール 2019/1/25 |
●仙洞政略とは、院政を行った上皇が中心となって建てた国是(国家の方針)のこと。因みに、仙洞(せんどう)とは、上皇用の御所のこと。 |
無料メール 2018/12/08 |
●武士は、弱肉強食から自然発生して出てきたものでは無く、國體の意志で作られたもの。 ●武士の殆どはタカス。ウバイド系國體の武家は、伊達、真田、鍋島くらい。それと、呂氏の島津、土師氏の毛利。 |
無料メール 2018/11/21 |
●日本書紀は、海外向けに書かれたもの。 |
無料メール 2018/08/29 |
●國體天皇だった堀川辰吉郎の皇子で、中継ぎとして國體天皇を兼務した昭和天皇の後に國體天皇を引き継いだ高松宮宣仁親王。その妃殿下だった喜久子妃殿下は、高松宮殿下が薨去されたあと暫く代理(京都皇統代)を勤めたが、喜久子妃殿下は、徳川慶喜の孫であり、実母が有栖川宮家の方である。 |
無料メール 2018/08/24 |
●フリーメイソンの中核は、タカス。 |
無料メール 2018/08/14 |
●伊藤博文を暗殺したのは、明石元二郎(玄洋社)。國體ワンワールドの指示。即ち、伊藤博文(政体)が國體を無視した行動に出たため。ロシアの黄金に絡む。 ●当時の國體天皇(堀川辰吉郎)を補佐していた組織は、玄洋社と大本教。 |
講座 2018/07月 |
●日本列島に最初に現れたのが縄文人。4万年前。縄文式土器を使った。 ●日本列島に稲作を広げたのが弥生人。大陸から渡来した倭人。稲作を持ち込んだ人では無い。稲作自体は世界的に広がっていたし、日本にも縄文時代から縄文米が在った。弥生式土器を使う。 稲作には、田んぼの水準の管理等、高度な測量技術が必要。縄文人(ウバイド人、測量技術)がいたから日本で稲作が広がった。 ●大陸から渡って来て、古墳を作ったのが古墳人。3世紀頃に大型古墳ができた。 古墳人の中で高い技術を持っていたのがタカス。 ●サンカ(山窩)、新平民はタカスのこと。 ●アヤタチは、民族の名前ではなく役職の名前。 自称「海部(あまべ)のイスラエル人ではなく、物部の一部。タカスと提携して作った新しい政治的な動きをする勢力がアヤタチ。 |
無料メール 2018/07/13 |
●藤原摂家は、荘園支配の用心棒として武士を使い、恩賞として「藤」の付く姓を与えた。後藤、安藤、工藤、・・・。 ●土地を開発し、農耕民を入れて墾田⇒開発領主となった非農耕民、即ち古墳人(渡来人) |
無料メール 2018/07/11 |
●山窩(サンカ)とは、どこでも食い、寝られるという特徴を持つ日本の部族。日本古来から存在する部族だが、目立たず忘れられている部族。 |
無料メール 2018/07/11 |
●縄文人の測量技術、弥生人の農耕技術 ⇒融合して食料の増産に成功。 ●余剰生産物の消費や新規事業開拓を目的として、日本へ渡来した古墳人が荘園を築く。 この3者(縄文人、弥生人、古墳人)が、完全に混淆せずに、現代日本社会を構成している。 |
無料メール 2018/07/04 |
●近年の國體ワンワールドの中心はベルギーに移っている。 ●非人とは、戸籍を持たない渡来人のこと。身分差別の言葉では無い。 |