黒板五郎の國體ワンワールド

落合史観に関する話題を取り扱うブログ

國體ワンワールド関係者一覧


國體ワンワールド関係者一覧
作成:2020年3月13日(金) 晴れ
更新:2020年4月9日(木)
 
國體ワンワールドに携わる人物一覧を作ることにした。随時、追加更新して行く。
 

名前
地位
担当など
121代 孝明先帝 國體天皇
京都皇統の初代國體天皇。偽装崩御した後に、徳川斉昭が水戸家の菩提寺である京都・本圀寺の境内に秘密裏に造営した堀川御所に入り、國體天皇となった。
堀川政略の明治以降を率いる国内トップ。
睦仁親王 國體天皇 京都皇統の2代國體天皇孝明天皇の皇子
堀川辰吉郎 國體天皇 京都皇統の3代國體天皇。睦仁親王の皇子。
第二次世界大戦時の世界國體天皇として世界大戦を仕切る。国連の創設、戦後の米ソ二極体制の構築など、戦後世界の枠組みを創る。
124代 昭和天皇 中継ぎの國體天皇(兼務) 國體天皇堀川辰吉郎の偽装崩御後に、堀川辰吉郎の補佐だった大徳寺立花大亀和尚が、「国際金融連合+在日米軍」からの要請を断りきれず、國體黄金ファンドの使用権を同勢力にも広げようとしたが、その事を知った昭和天皇が、間に入ってこれを阻止。昭和天皇は、宗教界の首脳を立花大亀和尚から池田大作に交代させた。
高松宮宣仁親王 國體天皇 京都皇統の4代國體天皇堀川辰吉郎の皇子。
高松宮妃喜久子殿下 國體天皇 高松宣仁親王薨去後、しばらくの間、京都皇統代を務めた。
堤哲長 國體天皇の側近 正三位右兵衛頭。偽装崩御して堀川御所に入った孝明先帝の後を追って偽装死したあとに同じく堀川御所に入り、國體天皇・孝明先帝の側近として、内縁の妻ギンヅルと共に國體勢力を統括した。吉薗周蔵の祖父。
山本玄峰 國體首脳? 臨済宗首頭。閑院宮系の皇別公家の一員。
・國體天皇堀川辰吉郎に仕える。戦争末期に鈴木貫太郎首相に終戦を勧めた。昭和天皇に、無条件降伏のアイデアを伝え、象徴天皇制を示唆した。
山本玄峰の後任が、大徳寺の立花大亀和尚。
立花大亀 國體首脳(宗教界) 堀川辰吉郎に仕える。國體黄金ファンドの管理人。
池田大作 國體首脳(宗教界) ・立花大亀和尚の後任。一時期、國體天皇を兼務した昭和天皇が、立花大亀和尚を退けて後任として指名。
シャルル・ド・モンブラン
(白山伯)
大東社メンバ ハプスブルク大公隷下の大東社が日本に送り込んだ工作員
ベルギー系のフランス人。日本のフランス総領事。
渋沢栄一 國體参謀 子爵。財務関連の担当。
陸奥宗光 國體参謀 伯爵。外務関連の担当。
大山巌 國體参謀 公爵。軍事関連の担当。
高島鞆之助 國體参謀 子爵。軍事関連の担当。
山川浩 國體参謀 男爵。陸軍少将、旧会津藩士。
堀川御所が、堤哲長を通じて下した國體綸旨(りんじ)の実行を担当。
山川健次郎 國體参謀 男爵。東京帝国大学総長、旧会津藩士、山川浩実弟
兄と同様の役割。
上原勇作 國體参謀 元帥、陸軍大将。
大東社。ハプスブルク・ポンピドー家の秘密女婿。
甘粕正彦 國體参謀 ・上原勇作が渡欧時にアルザス出身のポンピドー牧師の妹・イザベルと秘密結婚。後に、二人の間に出来た娘と甘粕正彦が秘密結婚し、甘粕正彦は上原勇作の女婿となる。ポンピドー(ハプスブルク家)繋がりで、二人とも大東社に入る。
・1926年、裕仁親王婚約の恩赦で仮出所 ⇒ 上原勇作の指令で1927年に渡仏、大東社で活動 ⇒ 1929年に帰国後、同年秋に満州に渡り、関東軍作戦参謀の石原莞爾が立てた構想に従い、秘密裏に満州国建国を進めた(満州経略)。
石原莞爾甘粕正彦は2歳違いだが、二人で30年後の日本の姿を描き、満州の地で国家経略を進めていた。
杉山茂丸 國體参謀 玄洋社の事実上のトップ(頭山満は表看板に過ぎない)。國體天皇堀川辰吉郎からの指示で動いた。
田中清玄 國體参謀 ・東大在学中より共産主義活動に走ったが、治安維持法で逮捕・服役中に転向。山本玄峰の弟子となる。
堀川辰吉郎山本玄峰ラインによりハプスブルク家の当主オットー大公、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー等との繋がりを持ち親交。
堀川辰吉郎山本玄峰ラインの指示を受けて、退位をも念頭において悩まれていた昭和天皇に1946/12/21に謁見して、「絶対にご退位をなさってはいけません」と意見を伝えた。
貴志彌次郎 ・・・ ・貴志彌次郎は、張作霖爆死が関東軍の犯行だった事を現地調査で断定し、田中義一総理に報告。この張作霖爆死が國體の進むべき方向を狂わせた。
⇒これにより、「蒋介石が大きく浮上するという誤算」が生じてしまった事を石原莞爾甘粕正彦ともに察知し、関東軍による張作霖爆死は失敗だったという見解で両者が一致した。中華民国を纏める人材が蒋介石一人となってしまっては、中華国家を狙う外敵の思う壺になってしまうからである。
堺誠太郎
(別名:若松安太郎)
國體奉公衆 七代目堺 屋甚兵衛を名乗る。堺屋甚兵衛は、佐藤義清(西行法師)が全国に創った國體奉公衆のネットワーク「佐藤甚兵衛」の一員。
若松安太郎は堺誠太郎の別名。陸軍向けには本名の堺誠太郎を、海軍向けには別名の若松安太郎を使い分けた。
従兄弟である池田庄太郎の三女・池田巻(本名:池田ツヨミ)は、吉薗周蔵の妻。
笹川良一 國體・・・ ・父は槙玄範。母は小路口家の女性(小路口家の本家は、落合莞爾(井口莞爾)先生の紀州粉河の井口家、即ちウバイド。)
・1914年、吉薗周蔵が、下北郡大畑村小目名の槙玄範を訪ねた時、玄範の下でシノビの術の稽古に励んでいたのが、当時の笹川良一
・後に、吉薗周蔵の國體アヘン事業の大半を引き継いだのが笹川良一
藤田嗣治 國體参謀 表看板は日本の近代洋画を代表する一流画家。裏の顔は國體参謀であり、パリの滞在して在外画学生の動向を関しした。
カルロス・ゴーン 國體奉公衆 ウバイド系ケルト族。
澄田[貝來]四郎(らいしろう) 國體参謀 陸軍砲兵少佐。上原勇作の腹心。フランス陸大に留学。甘粕のフランス任務を支援。息子は後の日銀総裁となる澄田智
澄田智 國體参謀 大蔵省事務次官から日本輸出銀行総裁を経て日銀総裁に就任。プラザ合意に際して金融バブルを発生させた。澄田父子に指示を出していたのは、在仏國體勢力(トップはハプスブルク大公)
田島應親(まさちか) 國體奉公衆 フランス軍事顧問団のジュール・ビュルネより幕府陸軍伝習隊で砲兵学を学ぶ。帰仏したビュルネと武官外交の立場で親交し、上原勇作のフランス砲工学校留学の準備、アルザスの名家ポンピドー牧師の妹ジルベールと上原勇作の秘密結婚の媒介をした。
少将昇進直前に休職して予備役に入り、ニューカレドニアに渡ってニッケル鉱山の運営に当たったのは、ハプスブルク大公からの指示らしい。
榎本武揚 國體参謀 未稿