黒板五郎の國體ワンワールド

落合史観に関する話題を取り扱うブログ

書籍メモ:「落合・吉薗秘史[8] 応神・欽明王朝と中華南朝の極秘計画」


書籍メモ:「落合・吉薗秘史[8] 応神・欽明王朝と中華南朝の極秘計画」
初稿:2019年7月31日(水) くもり
 
山県有朋の暗殺計画
大正8年6月、裕仁皇太子(後の昭和天皇)と久邇宮良子(くにのみやながこ)内親王(後の香淳皇后)の婚約が決まったが、山県有朋元帥が、これを破談に持ち込もうとしたらしい。理由は書かれていないが、山県有朋の皇室も畏れぬ横暴と言う事の様である。
・これに対し、参謀総長であった上原勇作の指示を受けた國體参謀の甘粕正彦中尉が、山県有朋の横暴を暴き、彼の権威を失墜させるために伊達順之助宇和島藩主・伊達宗城の孫)を煽動してコトを起こさせたらしい。さすがに甘粕中尉も暗殺までは考えていなかったらしいが、伊達順之助が暗殺計画まで立てたため、それが山県有朋の耳に入り、恐れをなした山県有朋が縁談への介入から手を引いたらしい。
・因みに、山県有朋は、長州卒族朝鮮半島からの渡来人の末裔で、長州藩では士分以下の身分(武家の奉公人、中間(ちゅうげん)など)だったが、開国に伴うイエズス会(覇道一神教)勢力の日本侵入&国内切り崩し(分断)を予想した國體側が、長州卒族がイエズス会の誘惑に乗って反乱分子に仕立てられない様に、先手を打って長州卒族の不平不満を解消させる事を決め、そのために八百長戦争である「戊申の役」を企画し、ワザと幕府軍に負けさせて長州卒族に手柄を立てさせたのである。國體側が作ったこの流れに乗って出世し、維新政府の重要ポストにまで登ったのが山県有朋である。背後にいる國體の事など知らない山県有朋にすれば、まあ、天狗になっていたのかも知れない。
明治維新を企画した國體勢力の中身は、皇室徳川幕府である。徳川慶喜も勿論、國體側の人間である。もっと言えば、徳川幕府は、國體の天海僧正徳川家康を動かして開かせた幕府である。
 
原敬総理の暗殺
・大正10年、総理大臣の原敬が、東京駅で中岡良一(山手線大塚駅職員)に刺殺されたが、これも、表の歴史には出ていないが、原政友会の腐敗に対する國體側の処分であったそうである。國體側の牧口常三郎(後の創価学会初代会長? 薩摩藩士・辺見十郎太の名前を受け継いだ(買った?)と言う様な話を聞いたと思うが、辺見十郎太と名乗る事もあったとか)に調べさせた結果の「大連アヘン調査報告書」により、原政友会の腐敗が暴露され、参謀総長の上原勇作元帥東京市長後藤新平が動いて、玄洋社(福岡)を使って暗殺実行に向かわせたそうである。
・因みに、後藤新平はタカス族であり、当時の日本国内のタカス族のトップだったそうである。
 
大東亜戦争に突き進む原因となった皇道派と統制派の対立
・明治末期の陸軍改革運動にて、田中義一宇垣一成上原勇作を担いでいたが、大正4年上原勇作大将に昇進して参謀総長(統帥部門のトップ)になり、同時に田中義一中将に昇進して参謀次長に、宇垣一成少将に昇進した。
大正7年には、田中義一陸軍大臣に就任し、翌大正8年には、宇垣一成中将に昇進して第十師団長となった。田中義一陸軍大臣(軍政部門のトップ)となった事により、上原田中の職務上の対立は避けられなくなって来た。
 例えば、大正9年1月、原敬総理田中義一陸軍大臣の同意を得てシベリアからの撤兵閣議決定した事に対し、上原勇作参謀総長統帥権干犯を理由に拒絶したため、シベリア駐留が日本軍だけとなり国際的な非難の的となった。
 また、シベリア撤退するに当たっては、即時撤退を主張する参謀本部(上原勇作参謀総長逐次撤退を主張する陸軍省田中義一陸軍大臣が対立して、結果的に、3月に発生したニコライエスク事件赤軍パルチザンによる大規模な住民虐殺事件。残留日本人も虐殺された)で陸軍省田中義一陸軍大臣が責任を問われた。
・大正10年になると、参謀総長としてシベリア出兵を指揮した上原勇作と、参謀次長として上原勇作を支えた福田雅太郎中将に国民の非難が集中することとなり、それを見た田中義一宇垣一成が結託して、上原勇作を排撃し始めた。これが、帝国陸軍の二派(皇道派、統制派)分裂の始まりである。
 
・しかしながら、落合莞爾先生は、ある理由により、全く別の見方をしている。 それは、20年前(1999年?)に、國體最高層の人物(國體天皇の側近?)より伝えられた下の一言である。
「上原勇作と田中義一が誰も知らないところで手を握っていたとは、いくら落合さんでも気が付かないだろうよ」
 
そして、落合莞爾先生が到達した仮説は以下。
「上原と田中が密約して互いに反対の立場を装った」
 
結果的に、歴史は以下の様に動いた。そして、この流れの大筋は國體が作ったのだろうと落合先生は感じているそうである。
1)上原勇作派を源とする皇道派と、田中義一宇垣一成から起こった「統制派」が対立。
2)「ニ・二六事件」勃発 ➪ 皇道派が失墜。「統制派」が全陸軍を掌握。
3)「統制派」に担がれた東条英機が、大東亜戦争を指揮推進。
 
では何故、國體が上のストーリーを作ったと落合先生が思ったかの理由は以下。
第一次大戦がもたらした人類社会の断裂
[世界の観点]
覇道一神教から生まれた共産主義が、ロシアで政体を建てた。
[国内の観点]
・資本主義の進展により財閥が興隆
 ➪社会の格差拡大
 ➪「皇道」すなわち天皇社会主義」が危機に瀕するほどの打撃を受けた
覇道一神教イエズス会)を淵源とする共産主義と資本主義が、明治開国に乗じて日本国内に侵入して来た事はやむを得ないが、問題は、覇道一神教思想が帝国陸軍に侵入してしまった事。具体的には、陸軍軍政の総帥である山県有朋、その後継者である寺内正毅元帥が、イエズス会の侵入口となった事。
 
❏政体の位階勲等など眼中にないと言うのが國體奉公衆の共通感覚
宮中席次:戦前の宮中行事において、席次を決めるもの。
・上位10までは以下のとおり。

席次 位階勲等
第一 大勲位
第二 内閣総理大臣
第三 枢密院議長
第四 元勲として大臣礼遇を賜った者
第五 元帥国務大臣宮内大臣内大臣
第六 朝鮮総督
第七 内閣総理大臣または枢密院議長としての前官礼遇を受ける者(かつて内閣総理大臣または枢密院議長だった人)
第八 国務大臣宮内大臣内大臣としての前官礼遇を受ける者(かつて国務大臣宮内大臣内大臣だった人)
第九 枢密院議長としての前官礼遇を受ける者 (★「第七」と矛盾する。間違いでは?)
第十 陸軍大将・海軍大将・枢密顧問官
参考 両院議長は第十二位、公爵(爵位筆頭)は第十六位


・元帥は生涯現役。故に「前官礼遇を受ける者」という規定が無く、生涯、現役の国務大臣宮内大臣内大臣と同格。
・元帥に陸軍、海軍の区別は無い。
 
ところが、「吉薗周蔵手記」には、上原勇作が元帥になった事が全く書かれていない。理由は、國體奉公衆には政体の位階勲等など全く眼中に無いという共通感覚があるからだそうである。
 
甘粕正彦中尉の偽装負傷と憲兵科転科の真相
[上原勇作と甘粕正彦の関係]
上原勇作は、25歳の時にフランス留学した際に、アルザスポンピドー家の娘・ジルベールと秘密結婚し、在欧ワンワールドの秘密結社にも入会している。実は、ポンピドー家はハプスブルク大公家の分家であり、國體(多分、國體天皇)が上原勇作を留学させた目的の一つは、ポンピドー家の娘と秘密結婚させて在欧ワンワールドに繋がりを持たせる事だった。
上原勇作とジルベールの間に生まれた娘は、後に、来日して甘粕正彦の愛人(内縁の妻)となっているので、甘粕正彦は、上原勇作の婿(義理の息子)になる。
・上原勇作の内縁の妻ジルベールの兄が、ポンピドー家の当主であるポンピドー牧師なので、ポンピドー牧師から見ると、上原勇作は義弟、甘粕正彦は義甥になる。
甘粕正彦憲兵科転科の真相]
・ポンピドー牧師は、天津南海中学の実質オーナーであるが、その天津南海中学は、在欧ワンワールドが、中華大陸に近代国家(後の中華人民共和国)を建てるための人材育成を目的として創立した学校であり、卒業生の3人(王希天、呉達閣、周恩来)を近代国家のモデルとして選んだ日本に留学させた。そして、ポンピドー牧師自らも中華民国人・彭彼得という名前で来日して、メソジスト青山教会の首領となっている。
甘粕正彦は、特高警察からの内偵が厳しいポンピドー牧師から、同じく特高警察の内偵が着いている留学生3人(王希天、呉達閣、周恩来)の指導と保護を代行してくれる様に頼まれ、そのためには、現所属の歩兵科のままでは難しいため、膝の負傷を偽装し、それを理由にして憲兵科に転科したのである。
・王希天は、セツルメント運動に参加した事もあり、特に厳しく特高警察の監視を受けていたが、大正12年関東大震災で行方不明となった。巷間では、習志野重砲連隊の垣内八洲男中尉から襲撃を受け、逆井橋の畔で斬殺されたとされているが、実際は、これは偽装であり、大震災下で絶大な権力を握った憲兵大尉の甘粕正彦が王希天を救出して、身柄を上高田の救命院に運んだのである。勿論、吉薗周蔵も承知していた。
 
井伊直弼も國體奉公衆
・力量を認められて、琵琶湖の湖族として知られた堅田から井伊家に入れられた井伊直弼は、國體天皇だった伏見宮邦家親王とその皇子の一乗院宮尊應入道親王(後の、久邇宮朝彦親王)の前で、國體に奉公する事を誓ったそうである。この時点で、既に安政の大獄という偽装イベントの計画が立っていたそうである。
堀川政略(開国~大政奉還~政体天皇大室寅之祐)/國體天皇(京都皇統創設(孝明先帝))、明治維新の前半を主導したのが尹宮朝彦親王一橋慶喜(一尹政権)であり、その準備を内々に進めさせる(蟄居処分にして陰で自由に動ける様にする)ために偽装したのが安政の大獄である。そして、その偽装イベント(安政の大獄)を挙行したのが井伊直弼である。桜田門外で暗殺されるのも筋書き通りだったそうであり、自分をバッサリと絶命させてくれる様に、井伊直弼が手練れの水戸藩士を選んで手配させたらしい。
・因みに、井伊直弼の子孫がスイスにいるらしく、ハプスブルク大公との関連がありそうだとの落合先生談。
・リアルインサイトの門弟(多分、中森護さんでしょう)から、先日、桜田門外で、井伊直弼は本当に死んだのか?」と聞かれた落合莞爾先生は、ふと考え込んだそうである。そして発見したのが以下の「國體法則三か条」だったそうである。

第一条 政体に入る國體衆は、もとより死を覚悟している
第二条 政体で名を残した國體衆は、目的を達成したら死んで姿を消す
第三条 予定された死なれば、現実に死ぬ必要はなく、偽装死して良い

落合先生曰く、この三か条に当てはまりそうな歴史上の人物は数多い。例えば、山下奉文甘粕正彦石原莞爾山本五十六、寺内寿一、広田弘毅などは可能性が高いとのこと。と言う事は、少なくとも、ここに掲げた人達は、全員、國體衆だったことは間違い無いと考えて良い様である。
それから、國體三か条とは関係ないが、ナポレオンは、セントヘレナ島では死んでないそうである。ケネディ大統領もそうかもと落合先生は書かれている。実は、7月13日の落合先生の講演会の際に、「ケネディ大統領が偽装死」と落合先生が発言した様に聞こえたものの、多分、私の聞き間違いだろうと思っていたのだが、どうやら、空耳では無かった様である。
 
❏甘粕事件の真相
・主犯とされた憲兵分隊長の名前を取り、「甘粕事件」と呼ばれる。マスコミのいい加減な報道により甘粕が極悪人に仕立てられているし、その他諸説があるが、事実は全く異なる。事実は、上原勇作元帥の指示により、甘粕が無政府主義者大杉栄伊藤野枝を抹殺したと言う事。
・理由として、落合莞爾さんは以下の二つを挙げているが、私は、(1)が本命の理由、(2)は絶対に言えない本命の理由を隠すためのアリバイ的な理由だと思う。
(1)上原勇作、甘粕正彦ハプスブルク大公の関係(上原は、ポンピドー家当主の妹・ジルベールの婿、甘粕は、ジルベールと上原の間の娘の婿)を知られてしまった。
(2)日本の伝統的な良風美俗が蝕まれていく原因となっている無政府主義に引導を渡すために、無政府主義者への心理的圧迫を図って大杉栄伊藤野枝の殺害を指示。
・因みに、現在でも、(1)の秘密を知っているのは、吉薗周蔵が自筆した「上高田日記」に接した数人と、落合莞爾先生の著書の読者だけだそうである。否!今、このブログを読んでいる人もそうかな(笑)。
甘粕正彦殺人罪に対する判決は、懲役10年だったらしい。しかしながら、事前(判決前)に上原勇作は、甘粕の今後を心配して聞いた吉薗周蔵に対して、「心配するな、四、五年の辛抱じゃ」と言ったそうである。そして、実際には、裕仁皇太子(後の昭和天皇)のご成婚により、甘粕は犯行から僅か3年後に出所したのである。皇太子ご成婚による恩赦がある事を上原勇作は知っていたと言う事である。それを見越した上で、甘粕に殺害を指示した訳である。
 
大正天皇は偽装崩御して欧州に渡った
裕仁皇太子が、訪欧から帰国して1921年11月に大正天皇の摂政に就かれたと同時に、國體は、大正天皇の偽装崩御と渡欧を決定したそうである。書籍には情報源を書いていないが、書かなくても、こういう皇室内の事項に関する事象は、皇室内にしか絶対に分からない情報であり、情報源が京都皇統(國體天皇筋)から落合莞爾さんへの古代史伝授以外の何物でも無い事は疑うべくもない。
・偽装崩御して渡欧する大正天皇は、欧州にてハプスブルク大公の世話になる事が自明なので、ハプスブルク大公と繋がりを持つ上原勇作元帥が、この事を事前に知らされていた可能性は非常に高く、だから、上原勇作は、裕仁皇太子のご成婚により恩赦がある事を見越して「心配するな、四、五年の辛抱じゃ」と断言したのだろうと思われる。
 
❏在英ワンワールド薩摩支部の誕生
・古来、外国貿易の拠点であった薩摩。そこで育った薩摩藩士達は、コスモポリタンとなった島津斉彬の薫陶を受けていたので、1862年の薩英戦争に負けるや、直ちに英国の国力と世界の大勢を知り、英国を本拠とする英國ワンワールド海洋勢力に進んで加わり在英ワンワールドの薩摩支部が誕生した(P185より一部引用)。
 
❏正しい内容が全く理解されていないコスモポリタンフリーメーソン
コスモポリタンとは、フリーメーソンを代表的存在とするワンワールド國體勢力のこと。
(近代)フリーメーソンとは、イエズス会を中核とする覇道一神教勢力から人類一般を護る事を主目的とする超宗教的国際組織(結社)の事。フリーメーソンユダヤと結びつけ陰謀論を展開する論者は、全くフリーメーソンの何たるかを理解していない連中なのである。
 
【目次】
第一部 解読部
第一章 大連アヘン事情の内密調査(P15~)
周蔵に接近を図る池田米子
周居應に連れられて大森三業地に行く
上原閣下から下された運動費二千五百円
武田内蔵丞を訪ねる
返金申し出に「気にせんでヨカ」
原敬暗殺の裏事情
”主義者”たちと親しくなった巻さん
次助が赤ん坊を背負って上京
上田恭輔が奉天秘宝の売却話で来訪
第二章 堺屋若松党の活躍(P41~)
巻さんの前職は”ユダヤ寺”の受付
今もユダヤ陰謀史観を垂れ流す売文家
巻さん説明に納得
堺誠太郎は物凄い大物
堺屋若松党の面々
最近は「犬」に近い依頼もある
武田内蔵丞のことを林次郎に説明する
日本陸軍の「草」と思ったが実は
堤哲長の薨去を窺わせる記載
上原勇作が元帥に列せられる
第三章 巻とケサヨ(P67~)
池田巻の帰郷
ケサヨを救命院に引き取る
「周蔵日記」の解読法を教える
医専時代の「綿子の少女」は説明せず
冒頭の日時は正確でない
大正十年の周蔵の罌粟活動
姉に売られた巻さん
第四章 甘粕正彦佐伯祐三の接点(P89~)
佐伯のパリ留学希望
佐伯を留学させてやってくれ
甘粕の偽装負傷と憲兵科転科の真相
フランスなら甘粕に頼むがヨカ
周蔵に接触を図る諜報員たち
上原元帥の誇る世界諜報網の実態
付けたり・落合莞爾を大言壮語と批判するウィキペディア
ケサヨの気の優しさに一抹の不安
孫文八芳園に匿った久原房之助
ケシ栽培を地方に広げる周蔵
山ノ内三郎の関係者に対するお詫び
吉薗家に伝わった井伊家の秘事
阪井自身が罌粟の薬効を実験
國體アヘンといえども副作用あり
甘粕が佐伯夫妻のパリ留学を準備
第五章 関東大震災と甘粕事件(P127~)
かくして大正十二年に入る
堤の姓にこだわり町役場と争うギンヅル
地方の農家に受け売り思想が蔓延
会津若松にて関東大震災を知る
甘粕事件と王希天事件
甘粕事件の真相
ウィキペディアが紹介する甘粕事件の諸説
ウィキペディアが落合説を紹介
甘粕に懲役十年の判決
ハプスブルク大公との関係を大杉に知られた上原と甘粕
自分も尽きていくか
第六章 陸軍上層の分裂と周蔵の不安(P155~)
獄中から面会を求めてきた甘粕
何となく不安がつのる周蔵
上原元帥と福田大将の評判が低下
上原と田中の密約から生じた皇道派と統制派
難波大助事件
伊達順之助の勇敢な話題
京商大教授上田貞次郎の来訪
獄中の甘粕から暗号解読を学ぶ
甘粕から教わった暗号解読法
暗号手紙の名義人は医師ネケル
 
第二部 考察部
第七章 「上高田日記」大正十年条(P181~)
ワンワールド特務・周恩来の日本偵察』の一部を再掲
コスモポリタンとは何者のことか?
王希天の正体
王希天と呉達閣が周恩来を担ぐ
ワンワールド特務の王希天が帯びた任務
ポンピドーとラッシュだけが知る周居應の正体
政雄にケシ栽培を教える王希天
第八章 ヤマト國體の大陸・半島政略(P207~)
ワンワールド國體勢力とは
四大河川文明と國體
縄文・弥生文化と水田耕作
後漢および三国と日本列島
紀元前後の朝鮮半島情勢
新羅に成立した古代王国とは
辰韓(秦韓)の社会構造
呂氏は中華のキングメーカー
秦(呂)氏がヤマト朝廷の財務担当
第九章 ヤマト國體の「国号偽称作戦」(P233~)
中華南朝と通交していたヤマト國體
朝鮮半島南部はヤマト王権の実効支配地
国号偽称に気づかず卑弥呼にこだわる史家
応神王朝と中華南朝の秘密外交
秦氏集団は呂氏を棟梁とする国際交易集団
令和の世を迎えるにああたって
第十章 英彦山の「鷹栖宮」(P247~)
鷹栖宮が英彦山に在った!
彦山縁起と一対をなす六郷満山縁起
滝沢馬琴が著した両子寺縁起
六郷満山は修験サエキの特区
マニ系仏教を将来(招来の誤り? まだ読んでないけど)した北朝北魏南朝
高住神社と鷹の巣山
彦山を中興した怪僧法蓮
法蓮は宇佐の豊国法師
英彦山と対をなす六郷満山
八田王が大陸に渡った目的
六朝仏教が到来した六郷満山
吉薗周蔵関係資料の開示3(P273~)