【目次】落合・吉薗秘史[10] 神聖ローマ帝国の世襲皇帝になった南朝王子
著者)落合莞爾
作成:2020年4月3日(金) くもり
【本記事の目的】
●落合史観に関する調査において、調査対象の内容が書かれている書籍を探す時間の短縮。
●目次のデジタルデータ化により、検索ツールを利用した機械検索を可能にする事。
以下に、表題の書籍の目次を引用する。
著者)落合莞爾
作成:2020年4月3日(金) くもり
【本記事の目的】
●落合史観に関する調査において、調査対象の内容が書かれている書籍を探す時間の短縮。
●目次のデジタルデータ化により、検索ツールを利用した機械検索を可能にする事。
以下に、表題の書籍の目次を引用する。
第一部 | 解読部 |
---|---|
第一章 | 周蔵の帰朝 |
・ | 昭和三年四月末条の続き |
・ | 自作を買えと勧める佐伯米子 |
・ | 白痴になったか?彌智子 |
・ | 祐三に母性を抱く薩摩千代子 |
・ | ニコライエスク(ニコライエフスクの間違い?)から漁船で帰朝 |
・ | 若松安太郎は島田元太郎の義弟 |
・ | 安太郎が居留民を率いて尼港(ニコライエフスク)を脱出 |
・ | フランス黄金の分配 |
・ | フランス黄金の経済的価値 |
・ | 手記を点けろ教えてくれた石光真清 |
・ | 甘粕正彦から与えられた教訓 |
・ | 山本権兵衛の上原勇作批判 |
第二章 | 上原閣下から引こうと思う |
・ | 留守中の救命院 |
・ | 東京コンプレックスの佐伯祐三 |
・ | 美校の恩師に褒められた佐伯 |
・ | 隣家菅又さんの騒動 |
・ | 張作霖の明殺爆死 |
・ | 上原勇作の胸中を推測 |
・ | 明殺の実行者、名はカハモト |
・ | 田中・宇垣に冷遇される貴志彌次郎 |
・ | 日本は不遇の方向に動く |
第三章 | 佐伯祐三のパリ客死 |
・ | 佐伯死亡のこと聞く |
・ | 佐伯に心が残る周蔵 |
・ | 若松安太郎の淋しい話 |
・ | 佐伯に大金を貢いでいたケサヨ |
・ | 太っとか兄さんありがとう |
・ | 厭世観に囚われる周蔵 |
・ | 國體奉公衆の落胆 |
・ | 同族愛で結ばれるイシヤ一族 |
・ | タカスに愛された周蔵 |
・ | 軍国主義の時代にはしまい込む秘宝 |
第四章 | 佐伯死亡の経緯を藤田嗣治から聞く |
・ | 田中義一をやろう、との声 |
・ | 藤田嗣治から薩摩のことを聞く |
・ | 徳田球一の逮捕と周蔵の諜報活動 |
・ | 陸軍の方向が見えずガッカリする藤田 |
・ | 佐伯の死について藤田が耳にしたこと |
・ | 街頭で繪を描くフリをしていた佐伯 |
・ | 藤田嗣治が観た佐伯祐三 |
・ | 問題は米子だ! |
・ | 祐三と千代子の関係を黙認した米子 |
・ | 中村屋食堂の閉店を惜しむ周蔵 |
・ | 周蔵手記には書かない周蔵夫妻の渡仏 |
第五章 | 田中義一”暗殺”の背景 |
・ | 甘粕正彦に会いに満州へ |
・ | 張作霖爆殺犯関東軍を貴志さんが告発 |
・ | 張作霖殺害は日本の不幸を呼ぶ |
・ | 国共合作の背景 |
・ | 上原元帥はなぜ方針を変えたか? |
・ | 貴志彌次郎の落胆と後悔 |
・ | 薩摩治郎八が佐伯祐三の絵を送ってくる |
・ | 所詮女と思うしかない |
・ | 男なら榮、女なら野枝を予定 |
・ | 若松安二郎を称する男爵の子弟 |
・ | 罌粟中毒に気付かなかった村医 |
・ | 周蔵傘下のケシ栽培が笹川氏に移る |
第六章 | 濱口首相の”明殺” |
・ | 佐伯アトリエの地主を訪ね、佐伯作品一点を進呈 |
・ | 若松安太郎が東京から撤退 |
・ | 首相浜口雄幸、”明殺”さる |
・ | 浜口はやっぱり死んだねえ |
・ | 上原さんは犬養と親しいのだねえ |
・ | 阿久津製薬から手を引く |
・ | 満州事変勃発 |
・ | 渡満を後回しにして舌癌の手術 |
第七章 | 周蔵再び満州に |
・ | ギンヅルついに死す |
・ | 巻さん製「一粒金丹」で延命した周蔵 |
・ | 石原莞爾と甘粕正彦が世界大戦を予見 |
・ | 満州は華やかさの中に不安 |
・ | きれい好きのため巻さんと合う緑 |
・ | 心身ともに弱りを魅せる上原元帥 |
第二部 | 考察部 |
第八章 | 明らかになった欧州國體 |
・ | 軽皇子の皇子がカロリング朝を開く |
・ | ワンワールド國體内部の交流 |
・ | 南北朝の対立も國體の経略 |
・ | ロタリンギア領主ロレーヌ公 |
・ | 南朝王子X |
・ | シスマ(教会大分裂)を収拾するために渡欧 |
・ | 南朝王子の渡欧準備をした万里小路藤房 |
・ | アルザス政略を策定した欧州國體 |
・ | A E I O U |
・ | オーストリア・ハプスブルク家はアルザスに発祥 |
・ | エルンスト鉄公と南朝王子Y |
・ | 傍流エルンスト鉄公の子が徐々に浮上 |
・ | 日本皇統と通じていたハプスブルク家 |
・ | 治仁王は貞成親王の弟 |
第九章 | |
・ | オーストリア大公がロレーヌ公へ帝国を移譲 |
・ | 神聖ローマ皇帝がフリーメイスン会員 |
・ | ウィーンはメイスンの一大根拠地 |
・ | 「メイスン経略」の策定者 |
・ | フランツ・シュテファンが國體大公となる |
・ | フランツⅠ世とヨゼフⅡ世が大東社の棟梁に |
・ | 楠公尊崇運動は日本の「青年〇〇」 |
・ | 文久テロリズムを企んだ朝彦親王 |
・ | 伏見宮とハプスブルク大公の相似象 |
・ | 偽装死が疑われるハプスブルク家の面々 |
・ | オットー・フォン・ハプスブルクと栄次郎・クーデンホーフ |
第十章 | 國體共産主義者田中清玄 |
・ | オットー・フォン・ハプスブルクの親友田中清玄 |
・ | 会津藩家老は國體参謀の家系 |
・ | しばしば菅又家を訪ねていた田中清玄 |
・ | 磯古署事件と米子の捏造話 |
・ | 田中清玄と宇都宮徳馬の邂逅 |
・ | 清玄と徳馬は一生の親友 |
・ | 清玄の仮出獄は当初からの予定 |
・ | 清玄を支援した國體勢力 |
吉薗周蔵関係資料の開示5 |