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エンペラー・ファイル ~天皇三代の情報戦争~ 徳本栄一郎

エンペラー・ファイル ~天皇三代の情報戦争~ 徳本栄一郎
作成:2020年9月3日(木) 雨
更新:2020年9月4日(金)
 
落合莞爾先生が話されていた書籍(掲題)を読んだ。
実に面白い内容であり、一気に読んでしまった。
 
大東社の情報ネットワークと思われる話、昭和天皇、田中清玄、ハプスブルク家オットー大公、ほか、この情報ネットワークを介して、昭和天皇にもたらされた政体経由の情報を凌ぐ独自の国際情報、等々、興味深い話満載の内容であった。
 
今上天皇が、皇太子時代(1983~1985)に英国留学した時の事を記した回顧録テムズとともに」が、元駐日英国大使だったヒュー・コータッツィ氏により英訳されて2006年に英国で出版されたそうであるが、実はそれ以前に、皇太子帰国の3年後(1988頃)に在外研修生として渡英してオックスフォードで学んだ一人の日本人女性が、「テムズとともに」を読んで、英訳を考えたそうである。
書籍に書かれているその女性の名前を読んだ時には、思わず、目頭が熱くなりそうだった(笑)。さて、誰でしょう?
 
以下、参考までに、本書籍の目次を引用しておく。
 

エンペラー・ファイル ~天皇三代の情報戦争~ 徳本栄一郎
プロローグ
きっかけは、バーナード・クリッシャーとの偶然の出会いだった。彼から託された二〇本の録音テープ、それが歴史の扉を開ける鍵となった。
- バーナード・クリッシャーとの出会い
第一章 「真崎テープ」の中の昭和天皇
長年、宮中の通訳を務めた真崎秀樹は生前、クリッシャーに天皇と世界の要人とのやり取りを明かしていた。そこからは共産主義への警戒を隠そうともせず、国際情勢のインテリジェンスを求めた天皇の姿が浮かんだ。
- 国際共産主義を警戒した昭和天皇
- D・ロックフェラーと中ソ封じ込めを議論
第二章 田中清玄がもたらした国際情報
「東京タイガー」の異名を持つ国際的フィクサー・田中清玄。終戦直後、昭和天皇に単独謁見した彼は、皇室の陰の藩屛として共産党に戦いを挑んだ。そして入江相政侍従長を通じ、欧州の名門ハプスブルク家のインテリジェンスを密かに届けていく。
- 「山師」か「愛国者」か
- 「田中清玄氏、聖上に謁す」
- 都ホテル一二三六号室の密会
- CIAをしのぐハプスブルク家のネットワーク
- 自民党政権の軍拡を批判した昭和天皇
第三章 天皇制を守った人たち
占領期、天皇制維持のため米国で暗躍した「ジャパン・ロビー」があった。その中心メンバーが日系二世のケイ・スガハラだ。元情報機関員の彼は、天皇側近と水面下で連携し、昭和天皇の初訪米を支援するなど日米関係の黒子役を担う。
- 天皇制の存続を訴え、天皇訪米を成功させる
- 改竄されていた昭和天皇のインタビュー記事
第四章 皇太子明仁の「ローマの休日
昭和天皇が、わが子の家庭教師にバイニング夫人を選んだのはなぜか。訪米中、ロックフェラー家の配慮で生まれた「自由」な一日を、皇太子はどう過ごしたのか。自分の意思で行動することを学んだ皇太子は、やがて平成の世の天皇となる。
- ロックフェラー家別荘での「自由な」一日
- 昭和天皇はなぜバイニング夫人を選んだのか
- 東京裁判終盤に流れた天皇退位の噂
- 皇太子、マッカーサー元帥に会う
第五章 天皇明仁「慰霊の旅」と「生前退位
初めて「平民」出身の妃を迎えた皇太子は、即位後、ともに手を携えながらかつての激戦地を訪れ、犠牲者に祈りを捧げる。そして自分の意思で行動する天皇が最後に決断したのが、明治以降、制度から消えていた「譲位」だった。
- 貿易摩擦真っ只中の皇太子訪米
- 「慰霊の旅」のはじまり
- 「生前退位」と旅の終わり
第六章 浩宮のオックスフォード留学
独自の情報網を持ち、自分の意思で行動する立憲君主 - 戦後、昭和天皇が抱いたであろう新たな天皇像は、平成を経て令和に受け継がれた。新天皇となった浩宮は、若き日の英国留学で一体、何を学んだのか。
- プリンス・ヒロ留学受け入れの「配当」
- ジグソー・パズルを埋める力
- 昭和、平成、令和と続く歴史の石積み
エピローグ
「インテリジェンス」、「自分の意思」、そして「歴史のジグソー・パズル」 - この三つの言葉こそ、三代にわたる天皇家の戦いの物語の象徴だった。
- 二一発の礼砲
謝辞
主要参考文献