黒板五郎の國體ワンワールド

落合史観に関する話題を取り扱うブログ

オーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルク家)の最後の皇太子 オットー・フォン・ハプスブルクの戦後の活躍


オーストリア=ハンガリー帝国ハプスブルク家)の最後の皇太子 オットー・フォン・ハプスブルクの戦後の活躍
2020年1月24日(金) くもり
 
落合史観ワンワールド。即ち、「世界は繋がっている動いている。故に、世界の歴史も繋がって動いている。」という事である。
 
至極当然な事である。それなのに、日本の歴史教育たるや、「日本史」、「世界史」に教科が別れていて、別々に教えている。担当教師も「日本史」、「世界史」で別の方々。
義務教育での「英語」の授業が文法偏重というのが日本の教育の大きな問題だと言うことは以前から感じていたが、言われてみれば、歴史教育も同じなんですナァ。だから、歴史教育も英語教育も「右脳」よりも「左脳」を重視する教育になってしまい、暗記科目に陥ってしまっていたというのが、私の時代の学校教育であったと思う。今現在がどう変わっているのか、相変わらず変わっていないのかは、私は知らないが。
 
とにかく、そういう教育環境で育った私の場合、暗記は所詮は暗記「の情報」で止まり、脳内で知識ネットワーク「点と点が繋がっている網目のの情報」になっていないため、在学中に暗記した事はサッパリ頭に残ってなくて、世界史はチンプンカンプンである。(「周りのせいにするな!」という声が聞こえて来そうだが 笑)。
 
そういう訳で、落合史観への理解を深めるためにも、世界史を少しでも勉強し直す必要があるかと思い、ネットで調べたところ、「世界史」について私と同じ様な問題意識を持っている方々が結構いるらしく、以下の様な書籍が売れている事を知り、早速、購入した。
まあ、買っただけで安心してしまい、いつ読み終えるかは怪しいというのが私の常なのだが(笑)。
 
 「一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書」(著者:山崎圭一) 1,760円(税込)
 「世界史とつなげて学べ 超日本史 日本人を覚醒させる教科書が教えない歴史」(著者:茂木誠) 1,650円(税込)
 
余談はさておき、本題に入る。
 
作業継続中のインペリアル・アイズ無料メールのブログ間移行中に、以下のメールを読み直した。全く記憶に残ってなかったが、中森護さんが、オットー・フォン・ハプスブルクについて、とても分かり安く纏めてくれている。
 
 インペリアル・アイズ無料メール オットー作戦
 
以下、ポイントのまとめである。

  ポイント
オーストリア=ハンガリー帝国ハプスブルク家)の最後の皇太子。 1912年(大正元年)に誕生。
1918年(大正7年)、6歳の時に、同国が帝政廃止となり、亡命生活が始まる。
⇒ 國體ワンワールドの直轄の特区・バスクにて徹底的に教育を受ける。
独)ヒトラーが、オーストリア侵略を企図 
⇒ オーストリア国内にナチスを養成し、オーストリア側からの対ドイツ合併を提起させる工作 
⇒ オットーによる、國體ワンワールドのネットワークを駆使した自国のナチス化への抵抗 
⇒ 国内の親ナチス勢力が作ったハプスブルクハプスブルク=ロートリンゲン家の国外追放と財産没収に関する法律)の廃止に成功し、皇室財産の多くがハプスブルク家のもとに戻った。 
⇒ ヒトラーは、オットー逮捕以外にはオーストリア侵略は無理と悟り、「オットー作戦」と名付けた侵略作戦を開始。 
⇒ ついに、オーストリアのドイツ併合を成す。
オットーは、米国に亡命。 
⇒ 終戦後(ドイツ敗戦後)のオーストリア統治に関する工作(連合国による統治ではなく、米国単独による暫定的な統治をしてもらう工作)を仕掛ける。目的は、コミンテルンソ連共産主義)によるハプスブルク文化の蹂躙を防ぐ事。これに協力したのが、米国)ルーズベルト大統領。 
⇒ 更に、オットーは、弟のローベルトを動かして英国)チャーチル首相を欧州大陸に引き込む工作にも着手。 
(※)実は、ルーズベルト大統領もチャーチル首相もケルト(余談だが、ダグラス・マッカーサーケルト)であり、國體ワンワールドネットワーク側である。 
⇒ しかしながら、米国内のオットー排除勢力が徹底的に邪魔をする。その中心は、ルーズベルトに近づいたコミンテルンアルジャー・ヒス当時の米国政府は、コミンテルンに完全支配されていた。日本が絶対に受け入れ難い理不尽な条件にハル・ノートを書き換え、それを日本に突き付けて日本が開戦せざるを得なくしたのも、米国政府に潜入したコミンテルン勢力だった。(一部、西鋭夫さん経由の情報を加筆) 
⇒ そんな中、ルーズベルト大統領だけは、オットーを擁護。
ルーズベルトが邪魔になったコミンテルンは、ルーズベルトを大統領の座から下ろす工作を開始。 
⇒ ルーズベルト脳卒中で急逝した事になっているが、大統領はトルーマンに交代。 
⇒ トルーマンはオットーの要請を無視。結局、オーストリアは、連合国4カ国による分譲統治となった。
その後も、オットーはオーストリア再興に尽力し、オーストリアの主権回復を実現。