黒板五郎のウバイド國體ワンワールド

落合史観に関する話題を取り扱うブログ

何故か、この記事に対するコメントが多い。まあ、間違いも多かったからナァ(笑)


何故か、この記事に対するコメントが多い。まあ、間違いも多かったからナァ(笑)
2020年1月21日(火) 晴れ
 
昨夜は夫婦でワインを飲んで、眠くなってすぐに寝たので、時刻は7時過ぎだったと思う。
お陰で今朝は深夜の2時過ぎに目覚めたのだが、パソコンをつけてみたら、「黒板五郎の徒然草」の3年前に書いた記事に対するコメントが入っていた。
何故か、この記事に対するコメントが多い。もともとの記事に間違いが多いからなのかも知れない。何しろ、落合莞爾先生と出会う前に書いた記事なので、間違いも多い訳である。
 
早速、入ったばかりのコメントに対する回答を作り始めたのだが、正確を期すために、書籍を見直しながら書いたので、書き終わったのは5時前だった(笑)。
 
先程、ついでに、この記事の本ブログへの移行もしておいたのだが、せっかくなので、今朝書いたコメントを、ここにアップしておく。
 
元の記事⇒【歴史】明治天皇は、やはり大室寅之祐だった。北朝から南朝に戻った。
 
移行した記事⇒明治天皇は、やはり大室寅之祐だった。北朝から南朝に戻った。
 
入ったばかりのコメントと、それに対する私の回答を以下に転記する。
 
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王仁さんからのコメント 9時間前
 
大丈夫か?
護良親王の子孫かどうか知らんが、
護良親王からして、臣籍降下している。
その時点で皇位継承権も血筋もくそもない。
 
その論法だと世の中の源氏も平氏もみんな天皇
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の回答
 
王仁さん、コメント有り難うございました。
 
まず最初に申し上げておく事がありますが、この記事の本文は3年前の2017/1/16に
書いたものであり、間違いだらけです。なので、本文は無視して戴いて結構です。
 
ただ、王仁さんのコメントは、護良親王に言及されているので、本文に対する
コメントではなく、私が2年前に書いた、「@」さんのコメントに対する回答か、
若しくは、5ヶ月前に書いた、「るる」さんのコメントに対する回答に対しての
コメントだと拝察致します。
 
その前提で、王仁さんのコメントに対して回答致します。
 
●まず、「護良親王からして、臣籍降下している。」と言う点について、
 
私は、その事実を知りませんが、臣籍降下の事実があったかどうかは本質的な
話では無いので、どちらでも良くて問題外の事です。表の歴史上の話を
されていると思われますので。
護良親王に関する真実の歴史は、表の記録に残らない(表の歴史では死んだ
事になっているので当然、以降の表の記録は存在しない)部分にあります。
 
護良親王の隠された裏の歴史(真実の歴史)
 
何しろ、表の歴史上の記録では、護良親王は、中先代の乱の混乱の中、
1335年に幽閉されていた鎌倉の地で、足利直義の命を受けた淵辺義博により
殺害された事になっています。
 
しかしながら、真実の歴史はそうではありません。
足利直儀は、護良親王を逃すために、部下の淵辺義博に偽装殺害を命じた
のであり、この命を受けた淵辺義博は、護良親王を浜から舟に乗せて江戸湾
を横断し、対岸の房州白浜に準備しておいた隠れ家に入れました。
房州白浜に今でも住む淵辺義博や護衛武士の子孫達が、1998年に、その事を
公表しています。
 
そこからが護良親王の真の活躍の始まりです。何しろ、ハプスブルク家
オランダ、ベルギーの王室は護良親王の直系男系子孫なのですから。
天皇家がオランダ、ベルギー王室と親戚だと言うのも、美智子上皇后陛下
が、何年か前に0泊3日で欧州での王室の葬儀に駆け付けたという事実も
そういう繋がりから来ています。
  
護良親王は、房州白浜に移ったあと、陸路で大和の西大寺に入ります。
そこで90歳代まで生存されたそうです。皇子も西大寺に入ったあと生まれ
ています。その皇子が渡欧し、ハプスブルク家に入ります。
フリードリヒ三世も護良親王の直系男系子孫ですが、年代的に、西大寺
生まれて渡欧した皇子の孫あたりだろうと落合莞爾さんは言われてます。
 
青山光子がハプスブルク家系のカレルギー・クーデンホーフ家に嫁いだ
のも、その繋がりです。結婚に際しては、当時の皇后様から直にお声がけ
されたそうですから。
 
もう一つ教えますが、昭和天皇は、表の記録上は別にして、実際には、
大正天皇の実子ではありません。欧州王室のご出身です。
勿論、護良親王の直系男系子孫なので、皇位継承権があります。
 
ただ、ここでいう皇位継承権とは、日本の現法律(皇室典範?)でいう
皇位継承権の事ではありません。皇室内で決めた皇位継承権の事です。
 
具体的には、鎌倉幕府(北条氏)が南北朝両統迭立(10年ごとの天皇
交替)を利用して自分の権威を保っていた状況を解消して皇室側の権威を
回復させるために、北条幕府には秘密裡に、後醍醐天皇と僧・文観が画策
して南北朝合一計画を策定したのです。
その中の一つが、「以降は、護良親王の直系男系子孫のみに皇位継承権を
与える」というルールです。
 
その結果、明徳の和約により北朝6代の後小松天皇が99代後亀山天皇南朝
から皇位を継承して、100代後小松天皇となりました。
 
なお、実際に、「以降は、護良親王の直系男系子孫のみに皇位継承権を
与える」というルールが発効するのは、102代後花園天皇からです。
以降は、今上天皇に至るまで、全員、護良親王の直系男系子孫です。
 
日本の法律上は女性天皇は認められていないので、皇室も女性を皇位
着けることはしないと思いますが、皇室内の皇位継承ルール上は、
愛子様護良親王の直系男系子孫なので皇位継承権があります。
勿論、日本の天皇家だけではなく、欧州の王家にも皇室ルールとしての
皇位継承権を持つ方々がいらっしゃいます。
 
119代光格天皇、120代仁孝天皇、121代孝明天皇、124代昭和天皇
125代平成の天皇(現上皇様)、今上天皇徳仁様)は、全員、
欧州の皇室血統です。
 
122代明治天皇大室寅之祐)、123代大正天皇は、護良親王の最初の皇子
である興良親王の直系男系子孫です。
 
102代~118代までの天皇は、護良親王紀伊国の豪族・井口左近の娘との
間に生まれた第一皇子・崇光天皇北朝3代)の直系男系子孫です。
 
ちなみに、現上皇陛下は、昭和天皇の第一子ではなく第二子だそうです。
第一子は、生まれてすぐに、昭和天皇の出身地である欧州に返された
そうです。欧州側の王家のお世継ぎになられたのかもしれませんね。
香淳皇后は、第一子を欧州に返した後、第二子(現上皇陛下)が生まれる
までヤキモキされたというこぼれ話を落合莞爾さんから伺ってます。
 
この辺りの情報は、全て、落合莞爾さんが皇室(京都皇統。偽装崩御して
京都堀川御所に入って國體天皇となられた121代孝明天皇が京都皇統の初代)
から伝授されている情報です。
皇室内に閉じた情報なので、勿論、公式記録などは一切ありません。
 
実は、落合莞爾さん(本名、井口莞爾さん)も、護良親王の直系男系子孫
です。崇光天皇(益仁親王)の次に生まれた第二男子が、跡継ぎとして
井口左近家に返され、父親の名前を嗣いで井口左近と名乗ったそうですが、
落合莞爾さんは、その直系男系子孫です。
 
まあ、初めて聞く方々には途轍もない話なので、俄には信じられない
でしょう。それで結構です。
「おい、正気か?」と思って戴いて結構です(笑)。
 
黒板五郎 
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