黒板五郎の國體ワンワールド

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インペリアル・アイズ無料メール 中伝第二期の予定と私の自己紹介


インペリアル・アイズ無料メール 中伝第二期の予定と私の自己紹介
2019年10月11日(金) 雨
 
先週の土曜日に、大阪で落合莞爾先生と中森護さんにお会いしてきたばかりだが、本日、「戦略思想研究所」の中森代表からの無料メールが届いた。
中森代表の自己紹介と「落合流洞察帝王学指南・中伝」の募集予告の様である。
 
先週の大阪会場でも、落合先生が中森さんの事を「外国人」みたいなヒヤカシの言葉でからかわれていたが、そういう質問が多いらしく、この無料メールの中で、中森さんが自分の氏素性について調べられた事を紹介されている。
 
まあ、下に書いてある様な事をどうやって調べたのかは知らないが、自分のご先祖様の事を調べるのは本当に難しいと思う。
と言うのも、最近、私は自分の家の家系図を分かる範囲で作ってみようと思い、親の戸籍があった役所に古い戸籍謄本を郵送して貰おうとしている所なのだが、父親の戸籍謄本(+除籍謄本、改製原戸籍謄本)を取っただけで、これまで全く知らなかった事実が判明し驚いているところである。例えば、「二男」だと思い込んでいた父親が実は「五男」だったとか、「二女」だと思い込んでいた母親が「三女」だったりして、これはもう一段上の世代(祖父母)の戸籍を調べるしかないと、現在申請手続きをしている所である(笑)。
 
以下、本日到着した無料メールを転載する。
 
なお、過去の転載分は、以下から参照できる。
 【索引】インペリアル・アイズ無料メール
 
・文字の修飾(色付け、文字サイズ変更など)、用語等へのリンク付けは私の趣味である(笑)。
・私の補足説明を、緑文字で文中に挿入している場合あり。
 
〜〜〜以下、転載〜〜〜
中伝第二期の予定と私の自己紹介
 
こんにちは。
戦略思想研究所 中森です。
 
今月の一日から創業してはおりますが、
未だに法人口座の開設も手続き中であり、
本格的なサービスのご提供もままなりません。
 
そんな状況ではございますが、
来週土曜から約半年にかけて連続セミナーに登壇し、
中伝第二期の準備にも取り掛かっています。
 
中伝第二期では全システムを一新するため、
新規にアカウントを発行して頂くという意味において、
お申込時に若干のご不便をおかけすることになりますが、
準備でき次第ご案内いたします。
 
ただ、日程だけは決定いたしましたので、
今のうちにご案内いたします。
 
本講座(会場で直接受講)お申込ご希望の方は、
日程だけでも確保お願いいたします。
 
第一回:令和2年1月25日(土)15:00~18:00
第二回:令和2年2月22日(土)15:00~18:00
第三回:令和2年3月21日(土)15:00~18:00
第四回:令和2年4月18日(土)15:00~18:00
第五回:令和2年5月16日(土)15:00~18:00
第六回:令和2年6月20日(土)15:00~18:00
 
会場はいずれも東銀座で本講座申込者だけにご案内いたします。
また、全講義終了後に落合先生を囲む懇親会を開催いたします。
 
さて、本日のご案内はもう一点ございます。
 
お客様からのお問い合わせに対する回答になるのですが、
実質的には私自身の自己紹介となります。
 
落合先生関連事業を始めてからというもの、
「中森さんって外国人なんですか?」
というお問い合わせを度々頂戴いたします。
 
講演会などで落合先生がほのめかすからでしょうが、
私は自身のルーツを調べ上げ切れていないため、
なんともお答えできません。
 
されど、多数のお問い合わせを頂戴しながら、
何もお答えしないというわけにはいきませんので、
私の自己紹介ということで代えさせてください。
 
それも、一般的な自己紹介ではなく、
落合史観的に展開させて頂きます。
 
まず、私の出身ですが、
鹿児島県鹿児島市吉野町上之原という集落です。
 
大西郷が開墾した私学校跡地のすぐそばで、
私は18歳まで過ごしました。
 
土地の伝承には、安永八年(1779)の桜島大噴火によって
桜島黒神村より避難移住した7家族の人々が築いた集落と
されています。
 
しかし、その7家族の中には中森氏はありませんでした。
つまり、中森氏は後から入ったのです。
 
それではどこから入ったのだろうと調べれば、
鹿児島本来の氏族に中森氏を見ることはできません。
 
とりいそぎ氏姓を辿れば、
中森氏は一般的に「荒木田氏族」とされています。
伊勢皇大神宮の祠官の家系です。
 
一方、私の実家に伝わる伝承を聞けば、
「平家の落人」であると遺されています。
 
落人伝承の真偽を確かめるのは大変そうなので、
家紋の「山桜紋」を調べることとしました。
 
しかしながら、中森氏に山桜紋は見つからず。
「丸に山桜紋」も含めて見つからないのです。
 
そこで、祖先の系譜を調べれば吉野の桜井家と関係が深く、
桜井家と同じ山桜紋を使用しているとのこと。
 
ちなみに桜井家も安永八年大爆発の避難民ではなく、
中森家と一緒に後から吉野に入った一族です。
 
今では分けはしたものの、
少なくとも私が実家で過ごしている頃までは、
中森家と桜井家は墓石に連名で刻んでいました。
 
したがって、同族とみなしてよいと思います。
 
しかし、また壁にあたります。
 
いくら調べても鹿児島の地に山桜紋を持つ桜井氏を
見つけることができなかったのです。
 
見つかるのは「丸に山桜紋」ばかり。
 
一方、鹿児島以外でしたら、
山桜紋の桜井氏を見つけることができました。
三河国より起こる松平氏族、桜井松平家です。
 
山桜紋は全国に少なく、桜井松平家を除けば、
平岡氏(紀伊国より起こる熊野別当族)
真野氏(尾張国より起こる桓武平氏北条氏族)
が代表格として見られます。
 
その他、荒井氏、岩見氏に見られ、
有名人では吉田茂与謝野晶子が山桜紋です。
 
一方、丸に山桜紋は全国に頻繁に見られ、
清源新田支流・武田氏族・義時流など武家紋として、
用いられたようです。
 
ここまでの情報の交差点を探してみましょう。
「平家の落人伝承」と「桓武平氏北条氏族」が交差します。
 
ただし、これだけの情報で早ガッテンできませんので、
民間のDNA検査サービスを利用してみました。
 
しかし、私の特徴を示す結果を得ることができませんでした。
あまりにも適当過ぎて憤りを覚えたほどです。
 
もし、落合先生がほのめかす中森欧州人説が本当であれば、
日本人を対象にしたDNA検査に適合しなかったとも考えられますが、
真相は分かりません。
 
さる筋からは「幽玄の過去に連なる生き様を貫くべし」
との託宣も頂いており、謎が謎を呼んでいます。
 
インペリアル・アイズを通して「うからやからの代」の到来を
お伝えしている身として恥ずかしい限りではございますが、
現時点では私のルーツははっきりしないというところで、
自己紹介、そして、ご質問への回答とさせて頂きます。
 
ちなみに、私の実父と実兄は、
測量設計会社を経営しています。
 
それではまた。
 
これからの時代を生き抜くために。
そして、日本の國體を護るために。
 
戦略思想研究所 中森護
 
P.S.
 
10/5(土)落合先生講演会@大阪・梅田は、
懇親会まで大盛況のうちに終了しました。
 
ご参加頂いた皆様、誠にありがとございました。
 
またの機会にお会いできますことを、
心より楽しみにしております。
 
 
≪≪≪≪最後に、お願いがあります≫≫≫≫
 
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