黒板五郎の國體ワンワールド

落合史観に関する話題を取り扱うブログ

満鮮経略


満鮮経略
2018年11月30日(金) 晴れ
 
〜この日本の国是を、GHQによって忘れさせられた戦後の日本国民〜
  
「満鮮経略」 この言葉自体は、落合莞爾さんによる造語であるが、要するに、北東アジアに関する我が日本国の基本方針の事である。
 
まずは、軽く我が日本国の真実の歴史を以下に記す。(私が落合莞爾さんから学んだ範囲で)
 
【1】ヤマト王権の誕生まで
  
●7500年前(紀元前5500年)、メソポタミア地方で発祥したウバイド文化。その頃から、ウバイド人(命名は落合莞爾さん)は、農地を創るための沼地干拓と灌漑水路の造成工事をしながら、沼地や河川流域で砂金の採取をしていた。
 
●この頃から、ウバイド人は、農耕・漁労・牧畜に分かれての分業社会を形成しており、その分業の各成果を交換するための信用財(現在の通貨相当)として砂金を使っていた。
 
●紀元前3800年頃に、この地にシュメール人が入って来たが、砂金が涸れて取れなくなって来た先住のウバイド人は、ウバイド文化をシュメール人に引き継ぎ、自分達は、新しい砂金採取の地を求めて、東西に分かれていった。移動ルートとしては、漁労民を中心とした海路、牧畜民を中心とした陸路ルートに分かれて、4方向(東/海路、東/陸路、西/海路、西/陸路)に散って言った。
 
なお、ウバイド文化を引き継いだシュメール人は、後に、楔(くさび)文字等で有名なメソポタミア文明を築くことになる。
 
東/海路のルートで進んだウバイド人は、まずは、インド半島インド亜大陸)の西岸にあるインダス川流域に辿り着き、砂金採取を開始した。ここにインダス文明が起こる。
 
●紀元前1400年頃、インダス川の砂金が取れなくなると、ウバイド人は、新しい地を求めて更に海路で東進。インド洋、マラッカ海峡南シナ海台湾海峡を経て、日本列島(紀伊半島)に到達。一部は、そこから西に進み北部九州に上陸した。現在の福岡市の那の津あたりである。
 
●九州北部に上陸したウバイド人は、志賀島を本拠とする先住の縄文海民安曇(あずみ)族と混血し、安曇王権を建てた。
 
紀元前1世紀頃、安曇王権の族長であったイハレ彦は、大陸(支那大陸)側で猛威を振るう騎馬民族の情報を察知し、海を越えて侵略されては今のままでは持たないと悟り、安曇王権の陣地の縦深化を図ることにした。
 
●当時の安曇王権の本拠地であった高天原(たかまがはら)(現在の福岡県と熊本県の県境付近の立花町あたり)を出発し、瀬戸内海を東進。紀伊半島奈良盆地に入る。高天原には部下の卑弥呼を頭領として分国(邪馬台(やまと)国)を配置した。
 
奈良盆地に入ったイハレ彦は、先住の物部氏の協力を得て、ヤマト王権を建て、初代天皇である神武天皇となった。
 
【2】日本国の満鮮(北東アジア)との関わり
 
●安曇王権は、イハレ彦の時代より前から、漢からの亡命民や倭人の雑居地だった朝鮮半島の南部(三韓に進出し、任那城(ミマキ)を置いて三韓を実効支配していた。
 
●各地で採取したウバイド人の黄金は、各地の秘密基地に隠匿されていたが、その中でも最大量を秘匿していたのが、豆満江河口近くの羅津(らじん)(現在の北朝鮮、羅先(らそん)付近)だった。
 
●5代孝昭天皇の頃より、満鮮経略の第1弾を検討開始。目的は以下。
 
 - 大陸からの騎馬民族の侵略を牽制するために、海洋民族国家であるヤマト王権騎馬民族国家に偽装
  ➪安曇王権の姫と大陸騎馬民族濊(わい)族の皇子を婚姻させ、その王子を任那天孫としてヤマト王権に迎え、天皇を即位させる。(10代崇神天皇任那天孫ミマキイリヒコ・イニエ
   (※)天孫:アマテラス直系子孫
 
 - 羅津の國體黄金ファンドを護衛する勢力の創設。
  ➪8代孝元天皇の皇子・彦太忍(ひこふとおし)を羅津に派遣し、國體黄金ファンドの護衛部隊である八幡(はちまん)騎馬隊を創設。
   (※)八幡(8本の旗(幡))を建てた騎馬隊。日本各地に残る「八幡」という言葉は、この羅津の八幡騎馬隊が起源。
 
なお、満鮮経略の第1弾(10代崇神天皇~14代仲哀天皇まで)は、國體ワンワールドの東極であるヤマト王権の国際化を実現するための繋ぎの期間でる。
 
●13代成務天皇の頃より、満鮮経略の第2弾に着手。目的は以下。
 
 -羅津より、莫大な國體黄金ファンドをヤマト王権に持ち込むこと。
 
 -日本から三韓に進出して手工業者となっていた多数の任那人を帰国させること。
 
 -上の國體黄金ファンドと技術・労働力により、ヤマト王権の生産力増大と富国強兵を実現すること。
 
13代成務天皇の兄弟であるヤマトタケル(現在の國體天皇的役割)が、息子のタラシナカツ彦(後の14代仲哀天皇その妻(後の神功皇后、弟の彦人大兄とその息子達(熊王、籠坂王)とで協議し、以下の通り、皇統の再入替を決めた。
 
 -羅津八幡族の王子であるホムダワケを日本に連れて来て、天皇を即位させる。(15代応神天皇=ホムダワケ)
 
 -入れ替わりに、14代仲哀天皇が偽装崩御して羅津に渡る。忍熊王、籠坂王も仲哀天皇に追従する。
 
●25武烈天皇の頃より、満鮮経略の第3弾に着手。目的は、大陸の騎馬民族に対抗するために、日本列島社会の本格国際化を図ること。(ヤマト王権の本格国際化とユーラシア文字、論理文明の導入
 
 -武烈天皇が偽装崩御して佐渡に隠れ、偽装崩御して羅津に渡っていた14代仲哀天皇の子孫である、天国押開広庭(アメクニオシヒラキヒロニワ)を日本に連れて来て、天皇を即位させる。(29代欽明天皇
 
【3】その後の満鮮経略
 
●欽明朝から飛鳥時代に掛けて最高潮に達した満鮮経略は、平安時代鎖国により途切れたが、元寇が片付き、東南アジアを起点とした大航海時代が始まった14世紀から再度活発になった。
 
大航海時代に入ると、イエズス会勢力の東洋侵略が始まり、日本への侵略(キリシタン大名出現、信長の仏教排斥等)も激しくなって来たため、國體ワンワールド勢力だった天海僧正徳川家康を指導して宗教戦争という手段(「関ヶ原の合戦」の事)を以てイエズス会勢力を撃退。以降、幕末まで鎖国政策を続けたので、満鮮経略も途切れた。
 
●1815年のウィーン会議からの要請に応えるための幕藩体制鎖国)から明治維新の公議政体(開国)への転換に伴い、再び日本の国是である満鮮経略が重要となり、朝鮮の併合、台湾の割譲(日清戦争)、満州国建国、大東亜戦争へと進んで行った。
 
【4】敗戦と、米国による日本の脅威(神の国、精神文化)の解体
 
●敗戦により、日本は、満州、朝鮮、北方領土、台湾を失ってしまったが、北東アジア問題は有史以来の日本の国是であるため、今現在でも国家戦略の重要課題である。
 
●ところが、戦後70数年、日本人は、国是を見失ったまま世界史を漂流し続けている。
 その根本原因は、日本国民が「満鮮経略」を意識から追い出して(追い出さされて)しまった事である。
 
その「満鮮経略」の淵源は、「欠史八代」に遡らなければ何一つ見えない。
  (※)「欠史八代」とは、2代綏靖天皇~9代開化天皇の「8代」は架空の人物であり実存しなかったとする学説を説いている学者達(これが、戦後の史学界の主流)の造語。
 
即ち、諸悪の根源は、「欠史八代」を唱える戦後の日本史学である。そして、この状況を作り出したのがGHQ
 
 
以下は、戦後の真実の歴史(=GHQと、GHQに迎合して歴史を塗り替えてしまった史学界の真実の歴史)である。
 
満鉄調査部の出身で、その後に早大教授となった津田左右吉(そうきち)は、「欠史八代」(2代~9代の天皇は実在せず)のみならず、10代~14代天皇も実在しなかったという「欠史13代」まで唱えていた。
 
津田左右吉説は、検察より「不敬罪」を問われ、出版法の「皇室尊厳冒涜罪」で有罪判決を受けたが、控訴中に敗戦となり容疑が取消となった。
 
●戦後、GHQ監督下に置かれた文部省は、戦前とは一転して津田左右吉説を採用し、10代応神天皇より前の天皇を全て教科書より削除した。
 
●米国占領軍は、刀剣などの隠匿武器の摘発を名目にして、全国の神社に立ち入り、古文書を全て押収。米国に持ち帰った。日本の神道が余程恐ろしかったらしく、先々、日本国民が古文書から真実の歴史を調べる事が出来ない様に先手を打ったものと思われる。
押収した古文書は米国に持ち帰ったものの、誰も解読出来ず。現在でもネバダ州の地下倉庫に眠っているらしい。
 
●連合国の指導層の中に、真実の世界史(國體ワンワールドが世界の歴史を牽引したという真実の世界史)を知る者がいたらしく、日本から、その真実の歴史が世界に発信されてしまうと、旧約聖書」の真否がバレてしまう事を恐れたらしい。
 
●日本占領に関する米ソ間の協議において、米国側が、北海道と東北地方の占領を求めるソ連側を諦めさせる代わりに、領土分割占領ではなく分野分割占領にして、思想・報道・教育などの文化面における日本の共産化を認めた
この米ソ間の秘密協定により、日本の精神界を指導する立場になったコミンテルン(国際共産主義勢力)が、日本の教育界、言論界を支配する構造が出来た。戦後になって、戦前の皇国史観からマルクス史観に転向した歴史学者は数多いが、中でも、東京教育大教授の家永三郎は、公務員でありながらマルクス史観を喧伝するだけの売国活動を展開した。
 
●米国は、原爆投下や東京裁判法の不遡及という大原則を無視)など、国際法違反の犯罪行為を正当化するために「日本性悪史観(私達日本は悪い民族だという史観)」を日本政府に認めさせ、保守政体はGHQに迎合して「戦前否定史観」による歴史教育を推進し、学校教育の現場を支配した日教組が、自虐史観を生徒に刷り込んだ。
 
 
参考文献:「天皇と黄金ファンド 古代から現代へと続く日本國體の根本」(落合莞爾著)