黒板五郎の國體ワンワールド

落合史観に関する話題を取り扱うブログ

ウバイド文化と日本の皇室の関係


ウバイド文化と日本の皇室の関係
2017年6月26日(月) くもり
 
昨夜、不意に長男が帰ってきた。散髪の帰りに立ち寄ったのである。
長男は、就職したのが2011年、東北大震災の年であるから社会人7年目である。大学は東京だったので、三島を離れて11年目である。しかしながら、床屋は、子供の時から通っている三島の理髪店に通い続けている。最近は新幹線に乗って散髪をしに来る。当然、床屋代よりも新幹線代の方が高い。息子のコダワリである(笑)。散髪だけして東京に戻る時もあれば、昨夜の様に実家に寄ることもある。
息子の仕事は生命保険(プルデンシャル生命)の営業であるが、今年度は相当高い目標を立てて頑張っている様である。社長杯で最高位の賞を獲り、我々夫婦とお嫁さんのご両親の2組の夫婦を、来春に社長杯受賞セレモニーがあるハワイに招待すると、先日、両夫婦の前で宣言したのも、自分にプレッシャーを掛けて追い込むためだろうと思う。目標達成した暁には、万難を排して招待を受けて同行せねば(笑)。
 
さて、今朝は、友達グループとの間でやっているLINEに投稿した内容の一部を、このブログにもアップしておく。最近、本を読んだり映像を視聴したりしている落合莞爾(おちあいかんじ)さんの日本秘史の研究についてである。
以下。言葉遣いはLINEで使っている「ですます調」である。
 
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お早うございます。
ちょっと前から、落合莞爾(おちあいかんじ)さんの本を読んだり、映像(有料)を見たりしています。彼は、元経企庁の官僚でしたが、現在は歴史の研究をされています。日本の歴史(他の歴史家とは全く異なる秘史)を、その起源から研究されています。
 
学校で世界の四大文明を習ったのを覚えているかも知れませんが、日本の皇室の先祖は、メソポタミア文明に繋がっているそうです。落合さんは、そのメソポタミア文明に起源を持つ、皇室のご先祖様とも言うべき民族をウバイド人と呼んでます。
 
紀元前5500年(今から7500年前)、人類最初のシュメル文明がメソポタミア地方に誕生(発生)したとされていますが、実は、メソポタミア文明の最初はウバイド人によるものだったそうです。
ウバイド人は、チグリス川、ユーフラテス川に堰を作り砂金を収集するという文化を創り出したそうで、集めた金(ゴールド)を信用財(中間財)として使うことで、物々交換から脱却し物の流通を飛躍的に発展させたそうです。現在の通貨、商業の起源ですね。
それにより、全てを自給自足していた人類の生業(なりわい)が分業の文化へと発展し、生活が豊かになり(今風に言えばGDPが向上し)、現在に至ってます。
それと同時に、堰を作っての砂金収集で出来上がった干拓地が農地となり稲作文化なども発展して行ったそうです。
 
紀元前3800年頃、ウバイド人は、チグリス・ユーフラテス川での砂金採取量が減って来たのを機に、次の川を求めて東西に分かれて行ったそうです。
実は、ウバイド人が移動して行った後にこの地に入ってきたのがシュメル人で、ウバイド文化を引き継いだそうです。ウバイド人は文字を持ちませんでした。楔(くさび)文字を発明したのはシュメル人です。だから、歴史学的には、シュメル人の方が前面に出ていてシュメル文明などと言われているそうです。
 
分かれて行ったウバイド人の東西の各ルートは、更に、漁民だった人々の海路と、遊牧民だった人々の陸路の2通りのルートで分かれていったそうです。
 
西に向かったウバイド人の終着点は、アルモニカ半島(英仏海峡に面する現在のブルターニュ半島)、一方、東に向かったウバイド人の終着点は、もう薄々感じているかも知れませんが、極東の日本列島です。
 
東ルートのウバイド人は、インドのインダス川で砂金採取を始めてインダス文明を作り上げますが、紀元前1400年頃、塩害が発生したインダスの地を棄て更に東進、東南アジアを経由して、海路側の一つは紀伊半島に到達もう一つは那の津(福岡市の那の津)に到達しました。陸路側の終着点は羅津(らじん)(現在の北朝鮮領内)です。
 
ウバイド人は、行く先々で現地人と混血していくのは自然な流れですが、日本列島においても、先住民である縄文人との間で混血して行きます。現在の日本民族は、縄文人、ウバイド人、ユダヤ十氏族、大陸からの渡来人(支那、朝鮮など)などの混血だそうです。
 
那の津に到達したウバイド人は、その後、安曇王権を打ち建てますが、後代の安曇王朝の族長だったイハレ彦の時代に、大陸側に騎馬民族(実は、陸路ルートで到達したウバイド人)が勢力拡大して来た事を察知し、イハレ彦は、王朝の主力を東に移す事を決め、奈良盆地まで東遷して、ヤマト王権を建てました。このイハレ彦が、初代天皇神武天皇です。
 
ウバイド文明の話は、まだまだ続きますが、ウバイド人には、集めた黄金をバランス良く配して、世界がうまく平和に暮らせる事を願うという理念を持っていたそうで、それが、日本の天皇家において現在も脈々と続いているそうです。
「八紘一宇(世界は一つの屋根の下に集う家族)と言う昔ながらの日本の教えは、もしかしたら、このウバイドの理念から出た考え方ではないかと、私は勝手に思っています。
 
それから、天皇家が管理する(「所有する」という考え方では無く、「総有する」(ワンワールド全体の持ち物)という考え方の)黄金は、国際決済銀行(BIS)での金の裏付け(信用財)としても使われているそうです。
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